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養生ブログ by食医の卵

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『荘子 第1冊 内篇』 

No.70 
訳注 金谷 治


養生について知るために、「初めて養生という言葉が登場したのはいつだったのか」ということを調べる作業をしていました。
そして、前回の最後に記した本が、『荘子』になります。
私の調べた限りでは、初めて「養生」という言葉が登場したのが、荘子ということです。

ただし、これは“ようじょう”ではなく、“ようせい”と読むのだと思います。

というのは、『荘子』は○○篇といくつか分かれており、その一つに養生主篇(ようせいしゅへん)というのがあり、この中の話で「養生」という言葉が出てくるからです。


『養生訓』にはこのように紹介されております。
「養生の術、荘子が所謂(いわゆる)、庖丁が牛をときしが如くなるべし。・・・人の世にをる、心ゆたけくして物とあらそはず、理に随ひて行なへば、世にさはりなくして天地ひろし。かくのごとくなる人は命長し。」


『荘子』では、魏の恵王が庖丁という料理人に会い、庖丁の解牛の話を聞いて、「養生を得たり」と答えたというお話が記されております。
  [この庖丁という名前から、料理刃が包丁と呼ばれるようになったとか・・・?]

この中の原文で大事な所は、庖丁が言う「臣(自分)の好む所の者は道なり、技よりも進(まさ)る。」だと思っております。


何故か?


前回、養生訓には、養生の道とか、養生の術という言葉が沢山登場するといいました。養生の道を進んでいくための術(方法論)が養生訓には書かれているということです。

しかし、その原点となる荘子は、技(すなわち方法論)ではなく道を求めているのです。
そして、荘子の思想は、万物斉同、無為自然です。

どういうことかといいますと、荘子の思想ですと、自然と一体となったありのままの生き方が養生なのであって、術などあれこれやって養生につとめるのは筋違いということになるのです。

だから、養生訓とは考え方が違いますよね。
ちなみに、貝原益軒は儒学者、荘子は道教だから、思想が異なるという見方もできます。しかし道教・老荘思想の違いや荘子は結構孔子を立てているなど、不明な点も多いです。貝原益軒も特にそのあたりは意識しなかったから荘子を引用したのだとも思います。



これらを踏まえて私はこう考えます。

荘子のいう自然なあり方が養生の道だけれども、その境地(真人)に我々凡人が到達するのは難しい。また現世には欲を駆り立てるものが多いので、凡人が流れに任せたら欲望に溺れていき、本来の自然に沿って生きることは難い。だから、養生訓のように術を学んでいきましょう。


最後に余談です。

養生主篇には、私が大好きな一説が書かれております。

「沢雉(たくち)は十歩に一啄(いったく)し、百歩に一飲するも、樊中(ばんちゅう)に畜わるることをもとめず。神は王(さかん)なりと雖(いえど)も、善(たの)しからざればなり」


私はこの一説を別のことから知り、荘子に興味を持っておりました。そしてこのとき養生について調べて、庖丁解牛と沢雉一啄の話が同じ養生主篇に書いてあることを知り感動しました!!

自由な生き方をとても上手く表現している一説だと感じます。興味がある方は是非ご自身で調べてくださいね♪



<キーワード>
養生 道 胡蝶の夢

<関連文献>
『孟子』(岩波書店) 『呂氏春秋』(講談社) 『初めて読む人のための素問ハンドブック』(医道の日本社)







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