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養生ブログ by食医の卵

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『「健康」の日本史』

前回の続きです。

前回は、「健康」という言葉の起源について説明しました。
今回は、養生と健康の違いについて説明したいと思います。


<著者の主張>

1.養生術の基準は「儒教道徳」、健康法の基準は「生理学的法則」にある。

2.養生術は「身」に対し行い、健康法は「身体」に対して行った。

3.柔道・剣道は養生術と健康法の隙間を埋めるものとなった。



<解説>

1.2.は著者独自の視点かもしれませんが大変わかりやすいと感じました。
日本人は昔から、「身の程知らず」とか「身に染みる」などの言葉で日常を表現していました。著者いわく、主観的なイメージです。対して、身体(からだ、しんたい)は客観的なイメージですね。

この「身」と「身体」の対比が養生と健康にも当てはまります。

P137に身と身体を比較した表が載っています。そして、P170には、養生術と健康法を比較した表が載っています。

養生訓の際に書きましたように、養生という言葉自体にどう生きるかということが内包されております。これはこの本でも、尺度が儒教道徳という点から窺えます。

価値観が際立っている点は、著者も述べているとおり、体を動かすことでしょう。
養生訓では、気が滞るのを防ぐためというのが目的でしたね。健康法は身体を鍛えるためとなります。この「鍛える」という概念が養生術にはありません。身は幼いころの方が気が満ちているという考えと、幼いころの身体は未熟であるという考え方も対照的です。

また、養生術は長生きを目的としていない点も特徴的かもしれません。
現代は、専ら健康法一辺倒ですね。アンチエイジング・長寿法などはその典型だと思います。勿論、それによって生じるメリットもあるでしょう。一方、デメリットにはこんなものがあります。

→→“現代日本人の健康意識(2009)”
→→“未来の健康に関する調査”

簡単にまとめると、「健康情報に影響されるばかりで、健康に自信が持てない」となります。
近年、主観的健康観や主観的幸福感がQOLには重要であるという報告がされるようになりました。
このことを考えると、こと現代の日本人に限定すると、健康法の普及推進よりも、養生術の普及推進の方がよいのではと思います。

一日の疲れを食の快楽で紛らわしながらストレス社会を生き抜いて、犠牲となった身体(肥満)を今度は健康のためと言って休日に運動し疲労させる。一体何が健康なんだと疑問感じている人もきっといるでしょう。また、健康!!健康!!とどこへいっても煽られる社会が居心地が良いとも思いませんよね。
(ちなみに私は現在、健康教育を推進していく身分なので、関係者の前ではこんなこと口が裂けても言えません(苦笑))


最後、3.について説明すると、健康法の文化では、身体を健康にしさえすれば、あとは何をやっても構わないことになり、これによる弊害が生じてきたことがきっかけとなりました。

このような歴史を振り返ると、やはり人間には崇高な規範があった方がいいのかなと感じます。人間って本当に複雑な生き物だと思います。


<キーワード>
術 法 身 身体 運動 体操 道徳

<関連文献>
『道教と養生思想』(ペリカン社) 『近代日本健康思想の成立』(大空社) 『中国古代養生思想の総合的研究』(平河出版社)





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