FC2ブログ

養生ブログ by食医の卵

元気に、健やかに、達者に生きることを応援します!!

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『小川八重子の常茶の世界』

No.135
著者 小川 誠二


2014年8月に読みました。
この本は1996年12月に出版されたものです。内容は、夫の誠二さんが、亡くなった妻八重子さんのやって来られた「お茶の活動」についてまとめたものです。ちなみにこのことは“あとがき”に書かれており、またこの本に“はじめに”等がないことから、頭から読んでいくと途中よくわからなくなります。
というのは、「私」とあるのが、八重子さんの場合と誠二さんの場合があるからです。読む時は御留意ください。


私はお茶について全くの無知でしたので初めて知ったことが数多くありました。
そして、「お茶も食べ物と同じような歩みをしてきた」ということが分かりました。このような視点を持つことができたのは収穫だと思います。
では、以下詳細に入って行きましょう。


<著者らの主張>

1.緑茶は(日)常茶ではない。

2.沢山飲んでも問題ないのは、ばん茶。

3.ばん茶は全国に沢山あり、その土地の人たちだけが飲んでいるお茶がある。



<感想・補足等>

舞台は昭和40年代後半~昭和50年代後半頃と思っていただければ良いと思います。
まず、この頃にお茶のビジネスが盛んになっていったようです。

お茶は農薬と肥料とで大量生産の商品となってしまうと、自然の恵みを楽しむ飲み物から遠い存在になってしまうのだと。
一番影響を受けるのは、「香り」だそうです。香りがなくなっていくということです。

野菜に置き換えてみても、昔の方がにおいやアクの強い野菜が多かった気がします。
品種改良によってできた「生でも食べられます」というのは、この辺りを抑えていったものではないでしょうか・・・。

こうして不味くなってしまったお茶へ著者らは疑問を持ちます。もう1つは、高価なお茶が体に合わなくなってきたことを挙げていました。高価なお茶とは玉露茶のことです。私はこのあたりの話にとても無知でしたね。
「日本人はお茶と親しんできた」という文章を読みながら、お茶と全く親しんでいない私を感じていました。

ただ、私の年代でお茶をたしなんでいるような人はほとんどいないと思います。コーヒーの方が圧倒的に多いですね。スタバ・ドトール・タリーズ等の展開を見ればわかるでしょう。それでも、紅茶が好きという人はたまに聞きます。一方、緑茶・ほうじ茶・番茶は聞きません。会話に登場しないレベルです。

お茶の飲み方も急須に葉と熱いお湯を入れて飲むではなく、ペットボトルのお茶を買って飲むの方が現代では主流になっていますね。何かの本に、子どもにとってお茶は「買うもの」であり「家で作るもの」ではなくなっている、というようなことが書かれていたのを記憶しています。

また、現在お酒の場のノンアルコールドリンクとしての地位を確立しているウーロン茶ですが、これのブームがこの頃にあったそうです。

最後に、
この本で一番御覧になって頂きたいのは、P70の対比です。
「緑色の茶と茶色の茶」を対比しています。

・緑色の茶-他所行きの茶-嗜好品-商品として作った茶-高くて不味い-近年のもの-未熟の葉から-化学肥料・農薬をふんだんに使う-啜る茶

・茶色の茶-普段着の茶-常食の茶(日常茶飯)-飲用のために作った茶-安くておいしい-何百年も前から親しんだもの-十分熟した葉で-肥料農薬ほとんど使わない-ガブガブ飲む茶

頭に入れておくと役に立つのではないでしょうか。


<キーワード>
常茶 伴茶(ばんちゃ) 飯茶(ばんちゃ) 茶色の茶

<関連文献>
「日本茶の「勘所」 あの“香気”はどこへいった?」(鉱脈社) 「緑茶のマーケティング―“茶葉ビジネス”から“リラックス・ビジネス”へ」(農山漁村文化協会) 「暮しの茶」(平凡社)





役に立ちましたらお願いします。

『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』

No.134
著者 岡田尊司


2014年7月上旬に読みました。著者は精神科医で作家です。

内容は題名から察しが付くと思います。これは遠い問題ではありません。 “おわりに”で著者が指摘しているように、現代社会に根付いている大きな問題です。読めば多かれ少なかれ「自分にも当てはまるかも!」と思うことでしょう。

非常に共感できた本でした(*^_^*)


<著者の主張>

1.子どもが愛着を求めるための行動としては、支配的コントロール、従属的コントロール、操作的コントロールがある。

2.成人の愛着スタイルを大別すると、安定型、回避型、不安型、恐れ・回避型に分類できる。

3.安全基地となる存在を見つけよう(になってあげよう)。



<補足&感想>

この本によると幼少期の愛着傾向を愛着パターン、成人するころまでに確立されたものを愛着スタイルと呼ぶそうです。
「愛着」という言葉で最も有名なのは、ボウルビィの愛着理論だと思います。これは3.の安全基地にも絡んできます。

「安全基地」とは子どもが発達していくために必要な「存在」なのです。未知の体験をして成長していくためには様々な行動をしていくことになります。そうすると必ず、傷ついたり失敗したりします。このときそれを癒す場所のなるのが安全基地です。
安全基地が確立されていないということは傷を癒す場所がないということですから、傷つくのを怖れるということは想像できますね。こうなるとその子どもは成長する機会を失っていくことになるのです。

子どもが愛着を求めるのは本能です。この欲求が満たされたいと1.の行動を起こすことになります。順にイメージすると、

「やだやだ、構ってくれないとやだ!」 「いい子にしてるでしょ。だから構ってよ!」 「構ってくれないと、何するかわからないけど、いいの?」

こんな感じでしょうか。


確立された愛着スタイルの方はもっと厄介です。1.のような行動をしても結局満たされることなく成長してしまったわけですから。

回避型:「また傷つくくらいなら、独りの方が気軽さ」
不安型:「私を独りにしないでぇ~」
恐れ・回避型:「どうしよう、独りも恐いよぉ、でも傷つくのも恐いよぉ…」

懲りずにこちらも作ってみました(笑)


3.が解決方法の1つです。他にも書いてありますので是非読んで下さい。
P49 カップルのどちらかが不安定型愛着を抱える確立は50%以上!さらに3人の人がいて、そのうち1人でも不安定型愛着を抱えている可能性は7割にも達する!! 
   (社会問題だと感じていただけたでしょうか?)


断乳を強制的にしていた栄養行政の歴史を重ね合わせると、いかに子どもにとって残酷だったかと感じます。→→断乳のNOを入れる。
それがない現在でも、社会復帰のために子どもを預けなくてはいけない現実があります。→→オキシトシンのNOを入れる。

経済最優先の社会を転換することが求められていると思います。


<キーワード>
愛着 安全基地 養育者

<関連文献>
『シック・マザー 心を病んだ母親とその子どもたち』(筑摩選書) 『無縁社会』(文藝春秋) 『3つの真実』(サンマーク出版)






役に立ちましたらお願いします。

『宮本常一著作集〈24〉食生活雑考』

No.133
著者 宮本常一


2014年6月に読みました。1977出版の本です。
この著者は、『塩の道』で紹介しましたね。民俗学者です。民俗学関係の本は、知らないことが沢山出てくるので面白いです。この本も同じでした。そして、感想を一言で表すならば、「知らないことが多過ぎて、一度読んだだけでは覚えきれない」でした(^^ゞ


<著者の主張>

1.江戸時代中期(享保)、米は主食糧の4割くらいしか占めていなかった。

2.日本における調理法は煮ることを中心にしたものが多かった。

3.10世紀頃には、和食の原形と調味料の基本的なものがほぼできあがっていた。


<感想・補足等>

江戸時代中期(元禄)には都市部で脚気が頻発するようになったという記録があります。都市部で起こり、地方に帰ると治ったなどという話もありました。そのためか、脚気は「大坂腫れ」「江戸患い」と呼ばれていました。
このような記録だけを見ると、国民の多くが米のみを精製して食べていたような印象を受けるのですが、実際はそうではなかったようです。都市部と過疎地(特に山奥)ではかなり食生活に差があったようで、このような状態は明治時代まで引っ張っています。

五穀米という言葉があるように、山村では雑穀を混ぜたものや、芋を混ぜたもの、大根の根や葉を混ぜたものが主食となっていました。その中でも、稗は生命を繋ぐために非常な意味をもっていたようです。そして、この稗が廃れていったのは、租税関係と土木技術の発達が関係していたとのことでした。
「米は年貢になるが稗はならない。だから稗よりも米を作りたい。」
「斜面では水田ができないが、石垣を積んで土地を平らにする技術を学んでからは米を作れるようになった。」
ということです。



家は火を中心にして発達してきたといわれます。囲炉裏(いろり)、竃(かまど)、甑(こしき)、蒸籠(せいろ)、五徳(ごとく)、鉤・鈎などは、穀物を加熱して食べることと関連してますね。また、穀物は殻を除くこともさながら粒食と粉食があります。このため欠かせないのが臼(うす)、杵(きね)でした。
栄養学では、調理器具の歴史などには関心がないので興味深いですね。
  【伝統食:鍋‐煮る】 ⇔ 【近代食:フライパン‐炒める】
と考えるとわかりやすいのではないでしょうか。


調理の仕方を、生食・煮・蒸・焼の4つで考えると、「煮」は植物性食物と相性がいいようです。一方「焼」は肉食と相性がいいようです。言われてみるとなんとなくそんな気がしますね。
日本は植物性食物の多かったことから、発酵の食文化を発達させていきました。ただ、意図したのではなく食品の保存から発達したものでした。一番のきっかけは塩蔵です。
『倭名類聚抄』【源順 935年頃】に塩梅類という項があり、塩梅類は「白塩(従来の塩)、黒塩(岩塩)、酢、醬(ひしお)、煎汁(だしのようなもの)、未醬(みそ)、豉(くき)」と記されているそうです。


他にも沢山、面白いコト・為になることが書かれております。是非手にとって読んで下さい!


<キーワード>
食生活 飯 米

<関連文献>
『日本民具辞典』(ぎょうせい) 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋) 『庶民の発見』(講談社)






役に立ちましたらお願いします。

『沈黙の春』

No.132
著者 レイチェル・カーソン
訳  青樹簗一

2014年6月に読みました。
この本は有名ですよね。中学校の社会科で習ったような気がします。

著者がこの『サイレント・スプリング』を書いたのは1962年だそうです。そして1964年には日本で訳本が出たようです。その時の題名は『生と死の妙薬』でした。沈黙の春の方が、覚えやすくていいですね。

春は生命の息吹の季節ですよね。冬が終わり、植物も昆虫も動物も動き出す時期です。だからそこには躍動感や生きている音を想像することができると思います。そんな「始まり」を感じられる春が、来ない!! 冬眠明けの動物、新芽、孵化が見られない。太陽の光だけが冬の終わりを告げ、春が来たことを教えている・・・そんな光景を言葉にしたものです。

自然に何が起こったのか?原因は何なのか?

それは、人間が撒いた化学薬品でした。人間が自分たちの都合のいいように自然をコントロールしようとした結果でした。
そして、「沈黙の春」は今年だけでなく、来年も、再来年も続いて行きました。

内容のコアの部分はこんな感じだと思います。


<著者の主張>

1.化学薬品は自然の秩序を破壊してしまう。

2.化学薬品の被害は最終的に人間へ降り注ぐ。

3.化学的コントロールを生物学的コントロールに切り替えよ。



<解説&感想等>

 この本は、自然破壊に警告を発した先駆書だと言われています。だから学校でも習うのでしょうね。そのおかげで、化学薬品の恐ろしさも、生態濃縮のことも既知でした。
 最近では「生物多様性」という言葉を耳にしますね。私が10代の時はあまり聞かなかったように思います。地球上の生物は近年、毎年4万以上の生物種が絶滅しているとか!!恐ろしいことです。

この本で何度も繰り返されているとおり、自然は絶妙なバランスを保っています。だから、ある生物を化学薬品で叩くと、それに捕食されていた生物が激増し別の被害が発生します。生物多様性が失われると、このようなことが起こっていくというとが想像できます。
日本に関係する話ですと、最近ニホンウナギがレッドリストに登録されてましたね。私が小さい頃は「トキ」の話がありました。
日本産のトキが絶滅した一因には有機水銀があるそうです。これは化学薬品→生態濃縮が関係しています。有機水銀といえば水俣病(四大公害病)が有名ですね。
なお、水銀は胎児に対する悪影響が懸念されているため、妊婦の魚介類摂取には配慮すべきとなっております。日本人の水銀摂取の80%以上は魚介類由来だそうです。厚労省は水銀摂取のリスクを減らしつつ、魚介類摂取のメリットをと言いますが、まさに二律背反でしょう。

これが2.の最終的に人間へ被害が返ってくるという典型例だと思います。

だから、化学(人間の力)で自然を支配するのではなく、自然の秩序で行われていることを利用しようということになります。
結局、自然を支配できるという発想自体が間違っており、人間も地球上の動物の1種に過ぎないということを自覚するべきです。
これは私的な考え方ですが、捕食されない人間にも天敵がいます。何だかわかりますか?これは厳密には生物ではありません。



正解は「ウィルス」です。

人間があまりに地球を破壊した時、生物多様性が失われ、ウィルスがパンデミックを起し、人間を激減させる。そして地球はかつての秩序回復に向かっていく・・・。
一見映画のようですが、まんざらでもないと思っています。
ウィルスでなければ自然災害。大雨なら、ノアの方舟でしょうか(笑)




<キーワード>
化学薬品 生態濃縮 生物多様性

<関連文献>
『複合汚染』(新潮社) 『奪われし未来』(翔泳社) 『ハチはなぜ大量死したのか』(文藝春秋)




役に立ちましたらお願いします。


『正しく知る糖質制限食』②

続きです。

前回著者の主張を書きましたので、今回は私がこの本から学んで主張したいことを中心に記したいと思います。


・ケトン体について

ケトン体について学んだことです。
糖尿病治療において、ケトン体の発生は悪とされてきました。
ポイントは“細胞が飢餓状態かどうか”ということのようです。従来のケトアシドーシスになるのは細胞が飢餓状態(=エネルギー代謝に異常をきたしている)、糖質制限はケトン体が積極的に利用され細胞は飢餓ではない(=代謝は正常。経路が違うだけ。)。断食も同じですね。
ただし、ケトン体の安全性は別です!!


・食欲について
糖質を制限すると、食欲に関するホルモンを介して、食欲が減るそうです。このため、脂質の摂取をフリーにしても実際はそれほど摂取エネルギーは増えず、むしろ減る(人が多い)そうです。


・縄文人の食事について
これまでの糖質制限論者は、縄文時代は糖質を食べていなかった、人の食性は骨髄だとの主張が多いですが、実際はそうでは無かったようです。以前もドングリピットを紹介しましたね。


・体重について
メタボという言葉が認知されるようになり、太っていることは悪のようになりましたが、これもここにきて大きな転換点が来ております。痩せている方がリスクが高いことが確実になってきました。こと高齢者に関しては小太りでも問題ありません。来年度から運用される食事摂取基準2015も高齢者の痩せ防止に舵を切っております。


・ローカーボ食が上手くいく人とそうでない人について
このようなことが載っているのがいいですね。
上手くいく人の中に、“飲酒習慣のある人”という方があります。厳しい糖質制限に賛同し糖質ゼロが正しいと信じて疑わない人の多くはこのタイプではないかと思います。以前から続けられる人は男性の方が多いと思っていたのもこれが理由です。実証タイプ、猛烈サラリーマンタイプです。スイーツは油脂が多いものの糖質を必ず含んでいるので、酒もたばこもない女性に継続は厳しいと思っていました。著者らは男女差の考察はしておりません。
また、別の項ではありますが、ローカーボ食はお金がかかることがしっかりかかれております。大事なことですね。


・死亡リスクについて
死亡リスクを上げる因子として動物性たんぱく質が挙げられております。なかでも赤肉とその加工食品(ハム・ソーセージなど)が明確に書かれております。一方、植物性脂質・植物性タンパク質は問題ないとされております。
アニマルプロテインを避けた方がいいという伝統食の教えが科学的に立証されるときが来そうです。そうするとまさにドイツ由来の栄養学の大転換が起こるかもしれないと、本の主旨とは別の方向へ頭が進んでしまいました(笑)



以上、手にとって自分の目で確かめて頂きたいと思います。


<キーワード>
動物性蛋白質 脂質 お金

<関連文献>
『世にも恐ろしい「糖質制限食ダイエット」』(講談社) 『縄文人になる! 縄文式生活技術教本』(山と渓谷社) 『ケトン食の基礎から実践まで―ケトン食に関わるすべての方へ』(診断と治療社)






役に立ちましたらお願いします。

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。